Time goes by

日々の生活や、いままでの経験を書いています。家族、友人に向けた紹介文です。海外出張など、体験したことを記していきたいと思います

若くして逝った姉のこと

私は4人姉妹の末っ子の四女です

 

三女の姉の事を書きます

姉は、28歳でこの世を去りました。

がんでした

見つかった時は手遅れでした。


2歳下の私は

姉の年をとっくに超えています。

他の姉たちとは、三女の死去から、つながりが強くなり、姉妹で旅行に

行くようになりました。

いつも三女がいればもっと楽しいのにと話しながら・・

 

父も亡くなっていますが、姉の方が先でした。

両親の子供を亡くす悲しみを

身近で感じました。

夜中に目覚めて泣きだす、父の姿

親より先に逝くのは、一番親不幸なことなんだと身に沁みました。

自分が親になり更に感じます。

 

私は、姉の葬儀には行けなかったのです。

2人目の妊娠中の臨月で、離れてくらしていたため、

葬儀で産気づくのは

迷惑になると、かけつけられず

 

 

暗い話を書いてすみません

なぜか、書いておきたいと思いました。

今では、時折、姉と過ごした幼少期などを思い出したりします。

孫がちょうど2歳違いの姉妹で同じだからでしょうか

三女の姉は不器用で、正直勉強もあまりできなかった

私は、塾に行かせてもらえなかったのに、姉にはいずれかの高校にいくために、

母が最終手段で、家庭教師をつけました。

その家庭教師がド近眼で、ある日私と姉を間違えて、勉強をはじめようとしたこと

姉と私は大爆笑!だった

 

姉はいつも明るく、誰に対しても優しかった

時々思い出す姉との記憶

小さい頃、母が私たちの前髪はカットしていたのです。私が小学生の低学年くらいの頃

ある日、母は、姉の前髪を、短く切りすぎて・・

その後にフォローするタイプではない母の性格から、

珍しく、姉が夜中まで、大声で、泣き続けていたことがありました。

同じ布団に寝ていた私は、ずっと神様に姉の前髪がすぐに伸びますようにと

布団の中で、手を合わせてお祈りしていました。

 

結婚した後、神戸に住んでいた姉は、学生だった私に、週末になると、自分の家に来るように

よく電話をかけてきていました。

遊びでいそがしかった私は、毎回は行けなく

今から思うと、離れた土地でさみしかったのだと思います。

遊びにいくと、化粧品を交換しようとか、洋服を見にいったり

姉が楽しそうにしていたことを思いだします。


将来こうしたいと、いろいろ話していて、今思えば生き急ぐ感がありました。

 

 

肉親をなくすことは、経験しないとわからないことですね

訃報を聞いたとき、姉妹の血のつながりなのか、大きなおなかを抱えながら、嗚咽をし、涙が枯れるほど、泣きました。

がんの余命宣告を受けても、奇跡を信じていましたから

他人(ひと)に話せるまで、数か月かかりました。話すと事実になってしまうから

その後、姉が生きたかった分を生きている自分が、精いっぱい感謝して生きようと思い

気持ちを切り替えて、強くなれました。

今でも、

平井ケンの、”瞳をとじて”や、

”会いたい”は聞くだびに、泣いてしまいます。

涙もろいのは、亡くす経験をしているからでしょうか

 

取り留めない話を最後まで読んでいただきありがとうございます。


今では、父と姉は心の中にいて、見守ってくれている気持ちでいます。